中学校に入学して、1学期が終わる
そんな夏休みに入る前の6月頃
子どもが学校行く直前になって
「おなか痛い」
「行きたくない」
初めは「ただの腹痛かな?」「風邪の引き始めかな?」と
様子を見ていましたが、それが数日続くようになり
当時の私には「学校に行かない」という理解が難しく
ただ「行きたくない」と理解してしまいました。
「学校に行かない」という選択肢が当時の私にはなく
「義務教育の間は学校とは行って当たり前、行かなきゃダメなところ。」
と認識していた当時の私は、
子どもを学校へ行かせることに一生懸命になったり、学校へ行かないことに怒ったりもしました。
今考えると辛かっただろうな、可哀想なことをしたなという気持ちです。
誰も頼る人がいない中
居場所は家しかないのに追い込んでしまった状態になり
「制服に着替えると、嬉しそうな顔になるお母さんをどんな気持ちで見ていたんだろう・・。」
今更ながら切ない気持ちになります。
あの時の私には理解が難しかったのですが、「学校に行かない」という選択肢を選ぶ道もある事に早く気づき、視点を切替えることが前進への第1歩にもなるように思います。
子どもは親が思っている以上にいろいろなことを理解していて、周りの環境や、親の心を察して自分の心を小さくしたり傷つけているように思います。
それは、まるで「心がやけど」したみたいに敏感になってるのだと思います。
やけどの傷って触ると痛いし、ヒリヒリする。
見えないけど心もそんな状態。
無理して我慢している時間が長くなると
親や先生に話せなくて1人で抱え込んでいると
やけどの面積を気が付かないうちに広げてしまう。
子どもにとって、周りの環境や大人に理解してもらうのは親が想像している以上に大変なこと、そして、とても勇気のいること。
その時に信頼出来る良識ある理解してくれる大人に出会えるか出会えないかでも大きく変わってくるように思います。
やけどの処置には、手当と時間経過。
心のやけどにも処置は、手当と時間経過。
心の手当は安心と自分の大事さに気付くこと。
時間と共に心のヤケドの跡は手のヤケドみたいに薄く跡として残るかもしれない。それでも、その経験を含めた自分の魅力に気づこう。
あなたは、素敵な人です。